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旧東海道神奈川宿ウォーク_その6。(台町の茶屋、大綱金刀比羅神社、神奈川台場ほか)
投稿日 2021年6月28日 11:11:11 (横浜ブログ)
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横浜白楽駅前にある蕎麦屋でいただくおいしいミニ丼セットランチ
投稿日 2024年4月17日 21:00:59 (横浜ブログ)
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お馴染みのようでそれ程でも、ウエステルダムをいろんなところから。
投稿日 2024年4月17日 11:11:11 (横浜ブログ)
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大納言小豆に聞いてみよう 「どうせだめでしょ菌」のやっつけ方
投稿日 2024年4月15日 15:19:17 (横浜ブログ)
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【04月13日】スポルト八景:ダブルストーナメント
投稿日 2024年4月15日 00:00:00 (横浜ブログ)
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お散歩写真2024_工事が終わったところもありますが、工事中のところを中心に。
投稿日 2024年4月14日 11:11:11 (横浜ブログ)
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PPバンドを編みながら
投稿日 2024年4月11日 11:47:55 (横浜ブログ)
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大さん橋から出港の飛鳥Ⅱから、新港ふ頭から出港のオイローパへ。
投稿日 2024年4月11日 11:11:11 (横浜ブログ)
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そごう横浜店でいただくおいしい鰻重ランチ
投稿日 2024年4月10日 20:08:49 (横浜ブログ)
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ガンダムファクトリー横浜終了記念、動くガンダムフォトスポット巡り。
投稿日 2024年4月8日 11:11:11 (横浜ブログ)
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さくら・もも・しろ・あか・き色 せせらぎ緑道:「マサぽん」の横浜ものがたり
投稿日 2024年4月7日 22:50:32 (横浜ブログ)
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@みなとみらい さば料理の専門店とは
投稿日 2024年4月6日 06:13:27 (横浜ブログ)
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横浜港へ初入港した新港ふ頭のオイローパから、大さん橋の飛鳥Ⅱへ。
投稿日 2024年4月5日 11:11:11 (横浜ブログ)
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【04月02日】ハマボール:火曜トーナメント
投稿日 2024年4月5日 00:00:00 (横浜ブログ)
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横浜駅近くにあるおいしいボリュームたっぷりわんたん麺専門店
投稿日 2024年4月3日 19:08:36 (横浜ブログ)
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謎解きスタンプラリー、ナゾる!ヨコハマ街歩き・鶴見区編。
投稿日 2024年4月2日 11:11:11 (横浜ブログ)
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【03月30日】スポルト八景:3月総評
投稿日 2024年4月2日 00:00:00 (横浜ブログ)
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感謝とごみ
投稿日 2024年4月1日 13:35:19 (横浜ブログ)
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おすすめ植物ご紹介‼️
投稿日 2024年3月31日 17:56:30 (横浜ブログ)
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2024年03月の空・・・総集編・・・
投稿日 2024年3月30日 11:11:11 (横浜ブログ)
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金魚&メダカ入荷情報❗️
投稿日 2024年3月29日 21:25:09 (横浜ブログ)
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@蒲田 「いっぺこっぺ」とは?
投稿日 2024年3月29日 03:59:10 (横浜ブログ)
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横浜桜木町でいただく絶品無化調ラーメン
投稿日 2024年3月27日 20:30:21 (横浜ブログ)
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西区制80周年記念、温故知新のみち謎解きデジタルスタンプラリー_後編。
投稿日 2024年3月27日 11:11:11 (横浜ブログ)
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時間とごみ
投稿日 2024年3月26日 10:50:06 (横浜ブログ)
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【03月19日】ミツウロコボウル:3月総評
投稿日 2024年3月25日 00:00:00 (横浜ブログ)
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新港ふ頭に湘南丸、帆船日本丸、APRIES W、くろしお丸、大さん橋に大島丸。
投稿日 2024年3月24日 11:11:11 (横浜ブログ)
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@港北区日吉 こだわり強めのカレー
投稿日 2024年3月23日 07:50:58 (横浜ブログ)
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西区制80周年記念、温故知新のみち謎解きデジタルスタンプラリー_前編。
投稿日 2024年3月21日 11:11:11 (横浜ブログ)
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【03月15日】ラウワン横浜:竹永竜星プロチャレンジ
投稿日 2024年3月21日 00:00:00 (横浜ブログ)
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【2024年ニューオープン!】横浜関内にオープンした人気つけ麺店の暖簾分け店
投稿日 2024年3月20日 18:38:39 (横浜ブログ)
前回に引き続き、旧東海道神奈川宿ウォークのその6です。そして、今回でついに最終回を迎えます。
前回は神奈川宿の西の端に位置する上台橋まで進みましたが、今回はそこから旧東海道を東へ進み、
神奈川宿の中央付近にある滝の橋を渡り、神奈川台場の方へ行きます。キーワードポイントはあと2つ。
上台橋から旧東海道を東へ・・・ ↑ 神奈川台関門跡の碑を通過、その先に台町の茶屋があります。
ここにある田中屋は文久三年(1863)創業・・・ ↓ 安藤広重の浮世絵にも描かれています。
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◎歴史の街「神奈川宿」
神奈川宿・・・神奈川宿は日本橋を出て三番目の宿場町です。現在の台町あたりは、かつて神奈川湊を見おろす景勝の地でした。この神奈川が一躍有名になったのは、安政元年(1854年)の神奈川条約締結の舞台となってからです。その四年後に結ばれた日米通商条約では神奈川が開港場と決められていましたが、後に横浜に変更されました。
田中屋・・・神奈川宿がにぎわった当時から続く唯一の料亭が、文久三年(1863年)創業の田中屋です。田中屋の前身の旅籠「さくらや」は安藤広重の「東海道五十三次」にも描かれた由緒正しき店名です。
高杉晋作やハリスなども訪れました。
坂本龍馬の妻「おりょう」・・・「おりょう」が田中屋で働き始めたのは明治7年。勝海舟の紹介で働いていたと伝えられています。英語が話せ、月琴も弾くことができた「おりょう」は、外国人の接待に重宝されていました。
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さらに東へ進むと・・・ ↓ ここにも安藤広重作の浮世絵「東海道五十三次之内神奈川」です。
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◎神奈川宿 袖ヶ浦
たどり行くほどに金川の台(神奈川台町)に来る。爰は片側に茶店軒をならべ、いづれも座敷二階造、
欄干つきの廊下、桟などわたして、浪うちぎはの景色いたってよし。
十辺舎一九「東海道中膝栗毛」より
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さらに東へ進むと、大綱金刀比羅神社があります・・・ ↓ 11番目のキーワードポイントです。
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◎大綱金刀比羅神社と一里塚
この神社は、社伝によると平安末期の創立で、もと飯綱社といわれ、今の境内後方の山上にあった。その後、現在の地へ移り、さらに琴平社を合祀して、大綱金刀比羅神社となった。かつて眼下に広がっていた神奈川湊に出入する船乗り達から深く崇められ、大天狗の伝説でも知られている。また、江戸時代には、神社前の街道両脇に一里塚が置かれていた。この塚は、日本橋より七つ目にあたり、土盛の上に樹が植えられた大きなものであった。
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その後は神奈川駅に戻り、宮前商店街を通過して旧東海道(現在の第一京浜)を東へ、
神奈川公園の脇に、神奈川本陣跡と青木本陣跡の碑がありました・・・ ↓
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◎神奈川本陣跡と青木本陣跡
慶長6年(1601)、東海道に宿駅・伝馬の制が定められたとき、市域では神奈川、保土ケ谷の二宿(戸塚宿はその後の設置。)が設けられました。神奈川宿には、滝の橋をはさんで、東海道沿いに東の神奈川町、西の青木町に本陣を置き、神奈川町は名主石井家(源左衛門)、青木町は鈴木家(源太左衛門)が宿役人として任命されました。滝の橋は現在とほぼ同じ場所に架かっていました。本陣とは、幕府より指定された大名・公家・役人などの宿泊・休憩する施設です。
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そして、その先にあったのは滝の川に架かる滝の橋です・・・ ↓ その当時から、ここに架かる橋です。
滝の橋を渡って海の方へ南下、神奈川台場公園に到着しました・・・ ↓
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◎地下に眠る神奈川台場
神奈川台場は、江戸時代末、横浜開港の翌年(1860年)に完成した、海上警備のための砲台です。沖合に造られた人工の島に14基の大砲が据え付けられ、東西2本の取渡り道で陸と結ばれていました。現在は大部分が地下に埋もれています。
◎西取渡り道の発掘調査
「神奈川台場公園」の地下には、西取渡り道が埋まっています。平成20年(2008年)、横浜開港150周年を契機に発掘調査を行いました。調査の結果、公園内の西取渡り道の位置の状態、構造などが明らかになったほか、強い地震などの自然災害によると考えられる破壊を受けている事もわかりました。
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公園内の掲示板には、解説のほか・・・ ↓ 当時の地図や写真、浮世絵、年表を掲示しています。
公園内を進んで行くと、12番目で最後のキーワードポイントです・・・ ↓
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◎神奈川台場跡
安政六年(1859)五月、幕府は伊豫松山藩に命じ、勝海舟の設計で海防砲台を構築した。当時の台場は総面積二万六千余平方メートル(約八千坪)の海に突き出た扇形で、約七万両の費用と工期約一年を要し、萬延元年(1860)六月竣工した。明治三十二年二月廃止されるまで礼砲用として使われたが、大正十年頃から埋め立てられ、現在では石垣の一部を残すのみとなった。
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神奈川台場公園のすぐ近くに、史跡 神奈川台場跡があります・・・ ↓
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◎神奈川台場と象の鼻
安政5年(1858年)に米、蘭、露、英、仏と通商条約が結ばれ、翌年(1859年)横浜港が開港する。港には波止場が作られ、そのうちの一つ西波止場(イギリス波止場、後の象の鼻)は、国際航路に乗船した旅客の出入や輸出入品の揚げ下ろしに利用された。初代の波止場は、2本の並行な形状だったが、慶応2年(1866年)の大火をきっかけに道路などが整備されたのにともない、波止場の延長工事がおこなわれた。この工事によって、東側の波止場は大きく湾曲し、波除けとして機能するようになった。こうして、のちに「象の鼻」と呼ばれる防波堤が誕生した。台場と波止場は国際港のもっとも重要な施設で、明治4年(1871年)、岩倉具視を全権大使とした使節団が西洋諸国に出発した際にも、「象の鼻」からはしけに乗船し、神奈川台場からは祝砲が打たれている。2つの史跡は現在もその遺構が残っているが、横浜市では、平成21年(2009年)開港150周年を記念して、開港当時の歴史を現在に伝えるため、神奈川台場の再整備工事、「象の鼻」の復元工事を行った。
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石碑の後ろにあるのが神奈川台場の石垣です・・・ ↓ という訳で、旧東海道神奈川宿ウォークおわり。
旧東海道神奈川宿ウォーク〓fab44〓その6
今回歩いたのはコースマップの左側から中央部下、紫色の線の部分です・・・ ↓
Source: かながわ検定横浜ライセンス1級に合格したのでブログ続けて…
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