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3連敗のあとの4連勝
投稿日 2017年11月1日 16:13:32 (横浜スポーツ)
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消えた駅長たちからメッセージが来たので探しに行ってきた
投稿日 2024年4月16日 14:36:54 (横浜スポーツ)
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横浜市港南区デジタルスタンプラリーに参戦!しんどかったけど新しい発見が多かった
投稿日 2024年2月14日 18:00:42 (横浜スポーツ)
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私鉄10社スタンプラリーが無理ゲーだと思った5つの理由
投稿日 2023年11月8日 20:52:44 (横浜スポーツ)
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細川の抜けた穴は大きい
投稿日 2023年10月29日 08:35:03 (横浜スポーツ)
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1、2番には知野、林を固定するべきではないか
投稿日 2023年9月26日 12:45:25 (横浜スポーツ)
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ドラクエウォークのお土産のためだけに新潟県へ行ってきました
投稿日 2023年9月12日 18:22:02 (横浜スポーツ)
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知野の存在感は見過ごせない
投稿日 2023年9月11日 05:01:57 (横浜スポーツ)
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あまり響かないサヨナラ勝ち
投稿日 2023年9月9日 09:05:49 (横浜スポーツ)
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もう少しうまく選手を運用できないのか
投稿日 2023年9月7日 08:08:43 (横浜スポーツ)
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振り返れば負ける要素はいくつもあった
投稿日 2023年9月6日 08:16:56 (横浜スポーツ)
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まさかの知野のグランドスラム
投稿日 2023年9月4日 15:17:00 (横浜スポーツ)
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関根、宮崎の復調が大きい
投稿日 2023年9月3日 09:02:12 (横浜スポーツ)
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打線の復活はまだ早い
投稿日 2023年9月2日 07:15:34 (横浜スポーツ)
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西浦の2軍降格について
投稿日 2023年9月1日 09:11:47 (横浜スポーツ)
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蝦名の潜在能力に期待する
投稿日 2023年8月31日 08:01:32 (横浜スポーツ)
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いい加減に内野の二人、外野の二人は見切りをつけるべきだ
投稿日 2023年8月29日 23:53:39 (横浜スポーツ)
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左右病を断ち切るための代償となるか
投稿日 2023年8月28日 06:54:36 (横浜スポーツ)
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安定志向に留まる選手はつまらない
投稿日 2023年8月27日 01:59:55 (横浜スポーツ)
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大きな意味のある勝利
投稿日 2023年8月25日 23:43:28 (横浜スポーツ)
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連敗は止まったが、問題は山済みである
投稿日 2023年8月25日 01:09:21 (横浜スポーツ)
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もう何も手を打たない首脳陣
投稿日 2023年8月24日 07:36:33 (横浜スポーツ)
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厳しい決断を下せない監督
投稿日 2023年8月23日 00:12:41 (横浜スポーツ)
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選手起用の基準が狂っている
投稿日 2023年8月21日 01:18:37 (横浜スポーツ)
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三浦監督の考えを推察する
投稿日 2023年8月20日 00:42:49 (横浜スポーツ)
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願いが叶った
投稿日 2023年8月19日 02:56:56 (横浜スポーツ)
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まったく何も変わっていない
投稿日 2023年8月18日 08:30:14 (横浜スポーツ)
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もう佐野、桑原の1、2番はこりごりだ
投稿日 2023年8月17日 08:15:06 (横浜スポーツ)
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打線が調子を取り戻したと考えるのは早計
投稿日 2023年8月16日 06:52:33 (横浜スポーツ)
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大きな決断を求められる佐野の処遇
投稿日 2023年8月13日 18:20:08 (横浜スポーツ)
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復調しつつある打線の勢い
投稿日 2023年8月10日 08:30:24 (横浜スポーツ)
日本シリーズで3連敗のあと4連勝したケースは過去に3回あります。58年西鉄、86年西武、89年巨人の3チームです。
1958年の西鉄ライオンズは、名将三原監督に率いられ、投手には神様仏様の稲尾投手がいて、打者には怪童中西太をはじめとした強者たちが揃っていたチームです。少年時代を大分で過ごした私にも、1958年ごろの西鉄ライオンズの記憶はさすがにありませんが、このチームが九州人の心をどれほど惹きつけたかは想像がつきます。私の両親も例外ではありませんでした。
私が知っているライオンズはもう弱くなっていて、ある時父が子供だった私を大分のデパートで行われたライオンズの選手のサイン会に連れて行ってくれたのですが、列ができているどころか、3人の選手がぽつんと座っているだけで、皆振り返りもせずに側を通り過ぎていました。もう何十年も前の事ですが、その時の父の寂しそうな表情をよく憶えています。
その後ライオンズは西武に買収されて九州を去りましたが、母は後から来たホークスではなく、87歳で亡くなるまで、西武ライオンズを応援していました。西鉄ライオンズの全盛期を知っている世代のファンは、もうほとんどいないでしょうけど、もし生きていれば、今の強いソフトバンクを見てどう思ったでしょうか
かつての弱くなり、黒い霧事件まで起こしたライオンズのファンと比べると、今の九州のファンは本当に幸せだと思います。そして、ベイスターズも長い暗黒時代があって、身売りして横浜からどこか遠くに移っていたかも知れないことを考えると、我々も今のベイスターズのファンでいられることを幸せに思い、最後まで逆転を信じて応援しなければと思います。
1986年の西武ライオンズは広島カープとの日本シリーズでしたが、第1戦を引き分けたあと3連敗しました。私は日本シリーズに出たチームをセ・リーグの代表と考えて応援したことはなく、むしろアンチ巨人だったので、パ・リーグのチームが巨人を打ち砕いてくれるのを応援するのが常でした。九州の西鉄ライオンズの後継だからというよりも、1983年の日本シリーズで江川、西本投手を擁する巨人を見事に破ったチームだということで、この年の日本シリーズは西武ライオンズを応援していたと記憶しています。その西武が0勝3敗と追い詰められた第5戦は、延長12回、現ソフトバンク監督である工藤さんの劇的なサヨナラヒットで勝利し、そこから流れが変わったのでした。このヒットも鮮明に憶えています。工藤さんはこのシリーズで4試合を投げ、1勝2セーブでMVPに選ばれています。
1989年巨人の近鉄に対する逆転勝ちは、アンチ巨人の私としてはあまりいい思い出ではありません。当時の近鉄には、ベイスターズに縁のある、権藤博投手コーチがいて、エースでこの年19勝をあげていた阿波野投手、後にマシンガン打線の一翼を担うことになる中根仁外野手もいました。また、長く近鉄の正捕手だった梨田さんが前年引退し、今季で横浜の2軍バッテリーコーチを退任した山下さんが正捕手扱いだったと思いますが、その山下さんがこの日本シリーズの第2戦で負傷し、その後マスクをかぶった光山現DeNAバッテリーコーチが台頭するきっかけになったように記憶しています。
しかし、3連勝したところで、近鉄のある投手が、「巨人はパ・リーグの最下位チームより弱い」と言ったとかで、その言葉に奮起した巨人がその後4連勝したということになっています。この言葉だけで流れが変わったのではないかも知れませんが、しかしちょっとしたきかっけで流れが変わることがあることは確かです。
ベイスターズとしては、まずは今日勝つことです。もう本当に失うものは何もありません。ただ全力で戦うだけです。実際昨日の試合は、選手たちの必死さが見えていました。ただ1歩、ソフトバンクの強さに及ばなかっただけです。しかし今日勝てば、流れも変わります。実際3連敗のあと4連勝したチームは、過去に3チームもあるのです。
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Source: YOKOHAMA lover
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